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東京都品川区上大崎2丁目24-11 目黒西口マンション2号館 905号室 (駅から徒歩2分)

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株式会社 聘珍樓 代表取締役

林 康弘 様

※写真はお父様である林達雄(帰化前の旧名は、龐柱琛:パンチュウシン)様。

聘珍樓の創業は1884年(明治17年)になります。そして、この横浜中華街の中でも創業以来同じ屋号で現在の中華街大通りに面する同じ敷地で営業を続けているのは当店を含む2店舗しか存在しません。
私の父である林達雄は中国廣東省高明県で生まれ19歳でこの横浜中華街に来日して以来苦節を重ねました。その後、諸事情により友人であった鮑金鉅氏から頼まれ聘珍樓の土地建物そして、のれんを買い受け「聘珍樓」を再建させた「中興の祖」になります。又、同時期に現在の萬珍樓も創業させました。
その当時、父達雄が自ら音頭を取り街の中間達とともに中華街大通りに横浜中華街で初めて「中華街」と表示した高さ15メートルの朱塗りの牌楼(ぱいろう)を横浜市の助成などを受けて建設したのを始まりとし、現在の横浜中華街の原形を整備する事に尽力しました。(そして、その数十年後、中華街では四つの牌樓【朝陽門、廷平門、朱雀門、玄武門】の増改築を行いました。その担いては言うまでもなく初代牌樓に情熱を注いだ私達華僑の息子たちです。)それらの功績を認められ皇居において、昭和天皇から「勲五等瑞宝章」を賜ることになり、第二の故国日本に骨を埋める覚悟をしたのです。そして、昭和天皇に拝謁後、東京赤坂の「頣和園」の渡辺様から前田先生をご紹介いただき、父達雄をはじめ家族全員で帰化することになったのです。
以来前田先生には、当店の主だった社員などが帰化でお世話になりました。
生前父は、昭和天皇から「日本人」として認められた事に深く感謝し、「日本人」として亡くなることを誇りに感じていました。「その父の誇りをお手伝い下さった前田先生には心から感謝しています。本当にお世話になりました。」

  • 神奈川県横浜市在住

    S.E様
    <インタビュー動画>

    私は香港九龍で出生しました。その後渡日し幼少期を日本で過ごした後、父親の仕事の関係で中国に移住し義務教育を経て高校を卒業しました。
     その後、再渡日しMARCHに進学し学士を取得し卒業しました。卒業後航空業界に就職しました。

    私の日本の好きなところは、日本人特有の「思いやりの精神」です。それは相手がどうしたら喜んでくれるかという目線に立って考える文化が人々に浸透しており「ありがとう。」という御礼の言葉や「すみません。」の謝罪の言葉をきちんと相手に伝える人が多く対人関係において自然と体現出来ることは長年日本で過ごしている私の中にも当然のものとして存在する価値観なのです。

     私は、もう中国やとても変わってしまった大好きな香港にはもう戻る選択肢はないので、帰化手続きをするために法務局に来局しましたが私は香港出身であるにもかかわらず担当事務官の方に中国の書類を集めるよう指示されたのでおかしいと思い、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人に連絡し、梶山先生と面談したところ、香港の事を良く理解し、加えて法務局の方にも中国と香港の違いを説明してくれたので、私は本当に助かりました。

    本当に一人で進めていたら大変な事になっていました。
    梶山先生本当にお世話になりました。

  • 東京都江東区在住

    黄 娟様
    <インタビュー動画>

    私は中国上海市で生まれ中国国内の大学を卒業後、上海の貿易会社に就職しました。その後、中国人である夫と結婚し、夫の家族滞在として渡日しました。

    私が日本を好きなところは田舎です。以前日本の中部地方に暮らしていたところがあります。
    私が住んでいた家の周りに田畑が多かったのでその時からずっと農業に興味を持っていて、今は夫の仕事の関係で東京に住んでいるため、ベランダのスペースを利用して家庭農園を作っています。

    そして、日本の田舎は中国と違いとてもきれいで静かです。中国の都市部はある程度衛生を保たれているが農村部に至ってはとても劣悪なところが多いからです。
    私が帰化を決断した理由は、他人のプライバシーを尊重し相手を想いやる社会基調も一つ大きな理由です。日本人はみんなルールを守るだけでなく、エスカレーターに乗るとき右側を空けるという暗黙のルールもみんなでちゃんと守ります。
     
    そして、私は過去に両親のことで出国が多くなり他にも不安な事が色々とあったので初めから帰化をプロにお願いしようと考えていましたが、帰化できる確実性や事務所の先生の実績などがすばらしかったので、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人を選びました。その結果、私の担当してくれた中国人の先生やスタッフにも恵まれ、私はとても満足しています。皆様本当にありがとうございました。

  • 東京都新宿区在住

    I・I様
    <インタビュー動画>

    私はペルーリマ市で生まれペルー国内の学校を卒業後、パシフィコ大学に入学しました。
    大学卒業後は同大学内に残り、リサーチやアシスタントなどを経験しました。その後7年前に渡日し、東京大学で公共政策を専攻し修士号を取得し卒業しました。
    卒業後は、大手のメーカー勤務で人事・法務等を経験し現在は外資系の法人でコンサルタントに携わっています。

    私が日本に興味を持ったきっかけは、私が子供の頃に日本人の祖母と暮らしていて彼女からいつも日本の文化を色々教えてもらったので自分のアイデンティティが日本と強く繋がっていると感じたからです。

    帰化を決断した理由は、国籍はペルー人ですがルーツは日本人なので自分の考え方は、ほぼ日本人だと思うからです。又、欧米と比較すると日本はコミュニケーションの帰属意識が強く、相手のことを気遣う文化があるので私の性格により合致すると考えています。

    そして、私は仕事と帰化手続きを両立するのは無理だと考え、友達の紹介でアイ・ビ―飛鳥行政書士法人に全てをお願いしました。アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の担当者の方はレスポンスが早く優しいのでとてもスムーズに帰化申請ができたと思います。
    最後に、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 埼玉県足立郡在住

    チャンダ ヒマル様
    <インタビュー動画>

    私はネパールバイタディで生まれ本国の専門学校まで過ごしました。
    その後、留学ビザで日本に渡日し日本語学校を経て東京のビジネス専門学校で情報ビジネスを学びました。

    私が日本に興味を持ったきっかけは友人のお父さんが日本に住んでいてネパールに帰国する度に、良く日本の生活や文化などについて話をしてくれました。日本は他国よりも生活用品が発達しているため生活が便利だと聞きました。そして、ネパールでは日本の電化製品が大変人気だったので、日本のテクノロジー技術を自分自身が実際にふれてみたいと思っていました。

     渡日後、私が感じた事は日本人の優しさです。日本語があまり上手ではない私に言葉を丁寧かつ分かりやすく説明してくれました。そして、私もそんな日本人の一員になりたくなり、条件を満たした時に友人と一緒にアイ・ビー飛鳥行政書士法人を訪ね、帰化申請の依頼をしました。

    私は帰化の条件について色々と不安な事がたくさんありましたがその不安を担当者の先生や梶山先生が詳しく説明してくれたので本当に助かりました。事務所の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都品川区在住

    ハディネジャド モハマドサデギ 様
    <インタビュー動画>

    私はイランテヘランで生まれ、高校までを過ごしました。2018年には現在の妻と結婚し、家族滞在として日本に来日しました。
    来日した日本は街並みとてもきれいで美しいのがとても印象的です。

    そして、日本の役所は地域に在住する外国人のための日本語教室や、日本語が不得意な外国人を助けるボランティア団体があります。日本語があまり上手ではない私にボランティアの皆さんが優しくして、ていねいに対応してくれました。

    そして、区役所には文化教室など多様なサークル活動があって私はフットサルが好きでとても楽しく区役所のアクティビティ練習に参加しています。今後は妻とともに日本で帰化して、イランで事業をしていたレストランや建設関係の事業を日本で立ち上げ、オーナーとして頑張って行きたいと考えています。
    最後に、妻もアイビー飛鳥行政書士法人の梶山先生にお願いをして日本から許可をもらっていますので私の帰化申請もアイビー飛鳥行政書士法人にお願いしました。日本語のアドバイスや色々な事を相談させて頂き本当にお世話になりました。

  • 東京都練馬区在住

    タンジ スヴェトラーナ アレクサンドロブナ様

    私は旧ソビエト連邦沿海州で生まれウラジオストク市内の学校を経て国立経済大学を卒業しました。
    渡日後は京都大学日本語・日本語文化コースで学び現在の夫と結婚しました。

     日本の好きなところは、日本人の礼儀正しさと真面目さ、優しさ、道徳意識がとても高く環境を大切にする姿勢です。又、日本の雑貨や便利グッズに見られる物づくりの技術レベルの高さには感銘を覚えるほどです。

     私が帰化を決断した理由は、渡日して20年近くが経過して日本の自然や食べ物、文化にすっかり馴染み、家族とともに日本を私の母国にしたいと考えたからです。

     そして手続きについては、私だけでなく子供達も日本とロシアの間で大変難しい問題があり大変困っていたので、一生の大事な事で失敗も時間も掛けたくないと思いプロにお願いする事に決め、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人にお願いすることになりました。

    1つ1つの問題を解決してスピーディーに進めてくれるのでとても安心してお任せすることができました。事務所の皆様、梶山先生本当にお世話になりました。

  • 東京都世田谷区在住

    李 紅蘭様

    私は香港九龍で出生し香港の高校を卒業後英国に留学し大学院を卒業後香港に戻り香港内の学校で教師を10年行いました。
     退職後、結婚・出産を経て貿易会社を設立しました。渡日後は、自社物件の不動産賃貸及び貿易業を営んでいます。

    私が日本に興味を抱いたきっかけは日本独自の美意識にあります。例えば盆栽や箱庭などの凝縮された美の世界観や、閑寂な中に奥深い豊かなものを感じようとする精神世界である詫び、寂びなどに大変惹かれます。又、俳句や浮世絵の描写には日本の四季の移ろいに敏感な心が見られ借景や障子などには自然との調和の精神が見られます。日本人の遠慮、謙遜、お陰様などの他者をおもんばかる美徳の精神や丁寧な言葉遣いが私にはとても心地よく感じます。

     私が帰化を決断した理由は夫の曽祖父や祖父が代々日本に深い関わりを持って生活しており私の家族にとって日本はかけがえのない存在だからです。

    そして、自分自身で帰化を進めるにあたり、自分自身で行う事業やその他不安な事だらけで、慎重に考えた結果プロにお願いしようと決め、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人に決めました。私は事業を行っているので書類がとても複雑だったのですが私のご担当の先生が元銀行にいた方だったので、私の不安な事については全てスムーズに解決して頂きました。

    今は全てが終わり本当にスッキリしています。
    事務所の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都渋谷区在住

    侯 翔騰 様
    <インタビュー動画>

    私は台湾嘉義県で生まれ、その後中国北京に移り小学校から大学までを過ごしました。
    その後、渡日し日本語学校を経由して証券会社や大手銀行を経て現在は証券業界に従事しています。

    私は、幼い頃に日本のアニメ「ワンピース」を見てとても面白いのでやがて夢中になり、サブカルチャーが盛んである日本という国に興味を抱いたのです。それがきっかけで日本語の勉強を始め大学生の頃に日本の大学に交換留学で渡日することになったのです。その時の日本は自分自身が想像していた以上に街が整備され食文化も他国と比べ様々なジャンルでクオリティが高くとても魅力的でした。

     その後、日本で働きたいと思い渡日し、念願が叶い日本で就職し一定のキャリアを積み帰化の要件を満たした時に帰化をしたいと強く思うようになりました。そして、帰化手続きは書類の煩雑や手間がかかるためプロにお願いすることを考えていた折、帰化した友人からアイ・ビー飛鳥行政書士法人を紹介してもらい、梶山先生と面談後、全ての手続きをお願いしました。

     そして、帰化申請時に自分の申請書の量を見て、仕事をしながらとても自分ではできなかったとつくづく思いました。事務所のスタッフの皆さん、梶山先生、本当にお世話になりました。

  • 東京都板橋区在住

    鄧 梅様

    私は中国甘粛省で生まれ両親の仕事の関係で西安に移転し西安の大学を卒業後、国際旅行会社で従事した後、渡日しました。
     私が日本に興味を持ったきっかけは日本のサブカルチャーであるアニメやテレビドラマです。私が幼少の頃日中間の国交が正常化されたことで多くの日本の作品が国内で放送され日本のアニメやドラマを見ながら成長してきました。
    それまでの中国アニメは戦争物や勧尊微悪しかありませんでした。

     それに比べ、日本のアニメは「鉄腕アトム」のようなロボットという科学的で新鮮な人物が登場する物語に強い衝撃を受けたのです。
    そして、中国の全体主義的な内容と違い「燃えろアタック」のような個人の努力を主題にする作品によって、自分も努力して頑張って行こうという力を得ることができ、従来の中国の考え方と全く「異なる文化」と「自由な思想」が私の心に大きな影響と日本に対する興味を強く抱かせました。
     私は、かねてより自分自身の憧れであった自由で心豊かな日本国民になれたことはとても感慨深いことであり、私の夢と私の子供の夢をかなえてくれた梶山先生、そしてアイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様、心からお礼と感謝を申し上げます。

  • 静岡県伊東市在住

    黄 香華様
    <インタビュー動画>

    私は台湾高雄市で生まれ高雄基督教大学を経て台湾国内のホテル就業などを経験した後渡日しました。
    日本語学校で学んだ後は東京のトラベルカレッジ国際観光ビジネス訪日科を卒業後ホテルで勤務しております。

    私は高校の卒業旅行で初めて日本を訪れました。その時街並みがきれいで日本人はとても優しい印象でした。現在静岡県伊東市内のホテルで働いておりますが、「おもてなし」のサービス精神に感銘を受けて今では私自身がお客様に実践しております。

    又、日本食は自然の恵みと季節感を活かした味付けの美味しさにとても感心致しております。そして日本人はルールや時間に厳しく、電車は時刻どおりに運行するのでとても安心です。
     現在、私は日本で生活できていることにとても満足しておりますし大変幸せを感じております。

    そして、この度帰化するためにアイ・ビ―飛鳥行政書士法人に帰化手続をお願いすることになりましたが、私はホテルで働いているため帰化手続については全て、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人にお願いしました。梶山先生初め、ご担当の渡辺先生には大変お世話になりました。
    静岡まで何度も足を運んで頂き本当にありがとうございました。

  • 栃木県小山市在住

    カプリスタン パディジャ ニコリ様
    <インタビュー動画>

    私の実父はペルー共和国北部ラ・リベルタ県、実母はリマ市内の出身者で、
    私は日本生まれのペルー人です。私は日本生まれなのでほとんど日本人と変わらない生活をしてきましたのでむしろペルーのことをあまり知りません。

     私は日本がとても好きです。それは自分が生まれた国だということもありますが、とても治安が良く安全な国だからです。そして、外国のように一人で女性が夜間外出していても身の危険を感じることはありません。又、日本人は規則正しく時間をしっかり守り、他人に対して思いやりの気持ちをもって生活しています。

    このような勤勉で優しい国民性にとても惹かれるのです。

    そして、日本は私の母国でありこの優しい国民である日本人とともに日本で一生暮らしたいと考えるのは私にとってあたり前の自然な流れだと思います。しかし、色々と問題があり帰化の手続が進みませんでした。そして、何年もの間悩んだ結果、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人に連絡をしました。そして梶山先生と面談後、私の夢の実現に向けてスタートできたのです。

     その後、担当の藤村先生の誠実な対応で私は何のストレスもなく帰化手続きを進めることができました。
    梶山先生、藤村先生本当にお世話になりました。心から感謝いたします。

  • 千葉県市川市在住

    サルマ ゴータムラダ様 サルマ ゴータムリチャード様
    <インタビュー動画>

    私はネパールガンダギ州シャンジャ地区で生まれ州内の小学校から高校までの一貫校を経て、パルクマリ大学を卒業しました。
     その後、渡日しアカデミー日本語学校を経て埼玉県にある専門学校を卒業しました。

    私が日本に対して好きになり始めたきっかけは、日本人は仲間の人間の感情をとても大切にし社会的マナーに対してルールが定められ、国民みんなが守っているところに感動したからです。

     又、渡日して感じることは、日本国民はとても優しく私がわからないことは丁寧に教えてくれるし、約束の時間には必ず5分前に来るところがとても感心します。渡日してから7年が経過し結婚をして子供も生まれ、現在の勤務先は経理部に所属し充実した毎日を送っています。

     そして、これからの人生を考えた時に日本は安全でとても生活しやすいので、絶対に失敗しないために、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に決めました。梶山先生と面談をし帰化する迄1年くらいでした。本当にプロはすごいと思いました。事務所の皆様本当にお世話になりました。これから夫も帰化するのでよろしくお願いします。

  • 千葉県松戸市在住

    張 歆童様

    私は中国吉林省で生まれ、高校を卒業後日本に渡日しました。渡日後日本の大学に入学し更に他の大学で修士を取得し卒業しました。
    現在は日本の企業に就職しております。

    私は幼い頃ドラえもんの漫画を読むのが好きで漫画に描かれた街に住むのが夢でした。

    又、親戚が日本に住んでいたので良く親戚から日本の文房具のおみやげが送られてきたのです。その文房具の書きやすさに驚き日本製品に興味と憧れを持つようになりました。

    実際に渡日してみると日本は礼儀正しくお互いに相手を尊重するところがとても共感できます。
    そして街並みがきれいでとても澄んでいるのでとても安心して暮らすことができます。

    私は日本の食文化にも大変興味があり特に日本料理は余計な調味料を入れ過ぎず自然の味を活かす微妙な味加減がとても美味しく感じられます。私は人生で最も輝く青春時代を日本で過ごし既に10数年日本にいるので、中国に帰る選択は全くなく帰化を決断しました。
    そこで安全に安心して帰化手続きを行うためアイ・ビ―飛鳥行政書士法人を選択し、梶山先生と面談した上で手続きを依頼しました。
    そして、何のストレスも感じることなく全てが終わったのは本当に良かったと思います。
    アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都多摩市在住

    ボコフ G様

    私は北欧で生まれ数年前に渡日しました。
    何気なく勉強を始めた日本語をきっかけとして日本という国に興味を持ち始めた私は、日増しにふくらんで行く日本への憧憬に最初は自分でも疑問を抱いていました。「何故行ったこともない国にここまで強い憧れを抱くのだろう。」と。

    しかし、初めて来日した時に品川プリンスの最上階から見た東京の夜景が全ての答えを物語っていました。言葉では言い表せない湧き上がる熱い感情が「この国の為に誠心誠意努めるべきだ。」と私に語りかけてきたのです。

    それからと言うもの、私は今まで以上に熱心に日本語や日本文化の学習に取り組み、渡日後は様々な事業を手掛け現在ではWeb開発の事業に取り組んでおります。その為今後も多岐に渡る分野に事業を拡げ日本の技術的進歩に貢献していきたいと考えています。

    又、日本人の妻とも幸せな家庭を築くために帰化を決断しました。
    決断後、梶山先生と面談し、今こうして帰化することができました。梶山先生誠実な対応に感謝いたします。そして、ありがとうございました。

  • 東京都新宿区在住

    シュレスタ ラクスマン様

    私はネパールカトマンズで生まれ高校までを過ごしました。その後留学ビザで日本に渡日し日本語学校を経て東京にあるビジネス専門学校で経営学を学びました。私が日本に憧れどうしても日本に渡日したかった理由は、ネパールのテレビで紹介された日本のテクノロジー技術を体験したかったからです。日本の技術は世界最先端であり、日用品の全てがすばらしいので自分の目で触れてみたいと思ったからです。

    そして、日本のファッションは世界でも人気がありテクノロジー同様に興味を持っていました。
    又、日本は「ルール」や「時間」に厳しく国民全体がそのルールを守っているところが素晴らしいと思います。生活面では日本の至るところでおもてなしの心で接してもらえるので安心して暮らせますし、電車や地下鉄などいろいろな場所に行く事ができるのでとても便利だと思います。

    そして、条件面では帰化の要件満たしたのでネットで検索し、確実に帰化してくれる事務所を探しました。その後、梶山先生と面談し、全てをお願いしました。最初はとても不安でしたが、今、こうして帰化をしてみて憧れの日本国民になれて幸せです。担当の渡辺先生そして、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆さん本当にありがとうございました。

  • 東京都中野区在住

    S.ロシ様

    私が日本に興味を持ち始めたのは日本のアニメが大好きなのでそのストーリーを理解するために日本語を独学で勉強し日本語を覚えました。
    そして、私の子供の頃から憧れだった日本に渡日することが夢でした。
     私の念願だった日本に渡日できたことは私の人生にとって最高のチャンスだと思いました。
    そして、日本に渡日してみると日本は私が想像していたとおり街並みもきれいで可愛い食堂がいっぱいあります。又、何よりもすごいのは日本は国民全体がきちんとルールと時間を守る素晴らしい国だと思います。そして、日本に渡日して数年が経過しこの素晴らしい日本国の一員になりたいと思い帰化を決断しました。
    そして、時間を掛けても自分で帰化の書類を作ることは最初から無理だと思ったのでプロに任せようと思ったのです。
    ネット検索するといろいろな事務所が出てきますが、「帰化ができなかったら全額返金します。」と色々な事務所が広告していますが、返金をされることは安心ではなく経験がない人が言う言葉でとても不安になります。
    私は条件面で不安なところがあったのでとても不安でしたが、梶山先生と面談しアイ・ビ―飛鳥行政書士法人にお願いをしました。
    私はこうして「帰化」しましたが、私の目に狂いは全くなかったと思います。先生本当にお世話になりました。

  • 埼玉県川口市在住

    KAWANO . M . J様

    私は、日本で生まれ日本の小・中・高を経て東京六大学の一角である大学を卒業し、米国に渡米しました。
    渡米後にカリフォルニア州の英語課程(ESC)を修了後、米国にある日系の有名な飲食産業に入社しました。当該法人入社後約10年でカリフォルニア地区の担当マネージャーに昇格し、同時期に米国の永住権(グリーンカード)を取得したのです。
     他方学業においては、同社に勤務しながら、米国メリーランド州のJ・H大学経営学修士(MBA)を取得し、米国での生活基盤が盤石なものとなりました。
    そして、日本にいる実父母は実弟に任せる事とし私は米国(アメリカ)人として人生を全うしようと考え、渡米から約20年で米国の市民権(帰化)を取得しました。しかし、私が米国市民権を取得してから16年後に実弟が亡くなってしまい、残された実母もその3年後に帰らぬ人となり、かような事情から米国でアイ・ビ―飛鳥行政書士法人のサイトを見つけ、梶山先生と電話相談の上、帰化の手配(認定)や再び私が日本国民として日本国籍取得の手続に至る迄約1年間で再び日本国民に戻ることができました。私にとっては信じられない作業と速さです。関与された渡辺先生、そして梶山先生本当にお世話になりました。

  • 神奈川県川崎市在住

    K・H様

    私はネパールガンダキ州で生まれ州内の小・中学校を卒業後カトマンズの高校を経て国内の大学を卒業しました。大学時代に日本人の先生と接するうちに日本に興味を持つようになり日本について色々と学びました。特に日本の伝統文化を現在でも体験できる点に深い興味を持ちました。
    日本の好きなところは、きれいな街並みと整ったビジネス環境、平和な社会などです。

    私が帰化を決断した理由は日本には感謝の心や優しい心を持った方々が大勢おり自分も感謝の心を持って頑張ることが好きだからです。
    日本にいる時が一番自分の心が落ち着いていると感じています。現在は海外から来日されたお客様に様々な情報を配信しています。
    こうして帰化できたのは、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の梶山先生と面談し、この人になら全て任せられると思い、私は本国書類を父や兄弟に頼んだだけで何もしていません。

    本当に何のストレスもなく、仕事に専念し、気づいたら帰化していたという感じです。
    私はこれが本当のプロだとつくづく感心しています。梶山先生本当にお世話になりました。

  • 東京都中野区在住

    A.S. カルパナ様

    私はネパールガンダキプラデーシュで生まれ地元の高校を卒業後同国の大学を卒業後渡日しました。現在は大手流通産業の営業部に従事しています。
    渡日してみて感じた事は、日本人はルールやマナー、約束をしっかり守る国民性だという事です。
    例えば電車を待っている間、皆綺麗に整列して待ちます。そうすると1分も遅刻せず電車が到着しお年寄りが立っていれば若者が席を譲ります。

    日本人にしてみれば普通に感じるかもしれませんが日本の国民性がとても現れている一面だと思います。他人を思いやるということが生活に根付いているのだろうなと驚きを感じましたし、私はそんな日本人を尊敬しています。私が帰化するに至った理由は日本文化に慣れてとても生活しやすいと感じたからです。渡日してから様々な事が勉強となり自分自身の視野が広がりました。

    これからもこの大好きな日本で私も、もっと成長していきたいと思いました。私がアイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いした理由は、私は仕事をしているのでとても自分で手続きをする時間はないし自信も当然ありません。

    だから安心して任せられる梶山先生に依頼し、私は何もしないで全てが終わったような気持ちです。本当にプロに頼むと楽だとつくづく思いました。
    事務所の皆様本当にお世話になりました。

  • 埼玉県加須市在住

    B.ニランジャン様

    私はネパールガンダキプラデーシュナワルパテージで生まれ、同フラデーシュ内の高校を経て同国の大学で学士を取得後に日本語を学ぶために渡日しました。
    日本語学校を経て日本国内の大学で博士課程で修士を取得して卒業致しました。

    私が日本に興味を持ったきっかけは自分より先に日本へ留学していた友達からの日本に関する便りからでした。日本での暮らしはとても安全であるため夜に道を歩いたりする時も日々不安を抱えなくて良いというところに憧れを抱くようになりました。

    渡日後私は日本は素晴らしいところが溢れていると思いました。それは四方が海で囲まれている日本では季節ごとに変わる刺身や寿司などの新鮮な海の恵みを味わうことができるのは海のないネパールでは想像もできないことです。そして日本の治安は非常に高い評価を受けて世界でも有名で日本人のマナーの良さも世界各国から尊敬されています。特に日本人特有の他人の気持ちを想んばかることの出来るところは日本が長年培ってきた風土・風習によるものだと思います。

    私は尊敬できる日本国民の一員となり、将来子供が未来に希望を持って生きて行けるように帰化を決断しました。しかし、自分自身も日本でサラリーマンとして働いているので帰化手続にはなかなか専念できません。そこで安心して任せられるアイ・ビー飛鳥行政書士法人を選びました。梶山先生と面談し話を聞くなかでつくづく本当にプロの先生だと感じました。
    そして、今では全てが終わりホッとしています。
    梶山先生お世話になりました。

  • 埼玉県久喜市在住

    C. ラジャン様

    私はネパールガンダキプラデーシュで出生しプラデーシュ内の高校を経て日本語を学ぶために渡日し日本語学校を経て日本国内の大学で国際学部国際学科を専攻し卒業しました。私がネパール本国に居た高校時代に日本人は真面目で時間に厳しい性質だと聞き、何故かその後日本の文化にものすごく興味を持ったのです。

    そして私の父が経営していたホテルで実際に日本人と接した事によって日本人に対する憧れが増したのです。ネパール人である私にとっての日本文化はどれもが不思議で、特に頭を下げ挨拶する礼儀作法に最初は意味が解りませんでしたが、それが人に対する尊敬心を具現化したものだということを知り日本文化の素晴らしさに感銘致しました。

     渡日後、私は日本が安全と安心を重視する社会だと思いました。「人」を重視する社会だからこそ、人の安全や安心に気を配りそれらの習慣が長年積み重ねられる中で日本文化の一部になっているのだな、と感心するようになったのです。そして、私はこのような日本の良いところに惹かれ帰化を決断しました。

    そして、安心で確実に早く帰化するためにアイ・ビー飛鳥行政書士法人に帰化手続きを全てお願いしました。実際に手続きをする中で梶山先生の説明や豊富な資料により解り易く説明してくれるので安心してお任せする事ができました。そして、気づいてみると全てが終わってしまったのでやはりプロは違うなとつくづく感心しています。本当にお世話になりました。

  • 東京都杉並区在住

    ゴンチャレーン ユアンドレイ リューボフィ様
    <インタビュー動画>

    私はロシアクラスノダール地方で生まれロシアにある国立大学で日本語や歴史社会学などを学びました。大学卒業後に渡日し日本語学校を経てロシアに一度帰国しましたが、知人の紹介で知り合った現在の夫と結婚し再渡日しました。

    日本に興味を持ったきっかけは、高校時代に日本のサブカルチャーであるアニメに強い興味を持った事がきっかけでした。アニメが好きなあまり日本の文化について学び、それが日本語の勉強を始めるきっかけとなったのです。日本の好きなところは丁寧な接客をするところです。初めて日本に渡日した時に「お客様は神様」という考え方に非常に感動し、今でも自分自身が仕事の上で良い接客をできるように常に心掛けています。

    私が帰化をする主な理由は、初めて日本に渡日したときに日本人の人間性や優しさに魅了され想像以上に良い国だと感動し留学時代からいつか帰化をしたいと考えていました。そして、私は故国ロシアより日本の性質に近いと感じるので心身ともに日本暮らしが落ち着きます。だから早く確実に帰化するためにアイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いしたのです。

    私の友達もアイ・ビー飛鳥行政書士法人依頼しているのでとても安心でした。私は全くといっていいほど何もしない内に全てが終わり私の担当だった藤村先生もとても優しい良い人でした。
    梶山先生をはじめ事務所の皆様本当にありがとうございました。

  • 千葉県多古町在住

    ロベンソ ドミトリー様

    私はロシアチェボクサル市で生まれ学生時代はイギリスやアメリカで過ごし高校を卒業後渡日しました。その後は日本語学校を経て、政府機関で働いて現在の妻と結婚しました。現在は通訳や翻訳の仕事に従事しながら日本の大学に在学し「修士」号を取得する予定です。

    日本の好きなところは国民がルールを尊重し社会秩序を守っているところです。そして、他人に思いやりをもって生活している日本人を見ると日常生活においても誠実である事はとても重要な事なのだと思いました。

    私は日本の武道である剣道がとても好きです。
    「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。」という剣道の理念や剣道修練の心構えなど心身を錬磨するという姿勢に惹かれます。私が帰化をする主な理由は、ロシア・イギリス・アメリカと生活してきましたが日本が一番ホームだと感じるからです。

    現在の妻と共に快適なホームである環境を築くことができたので他の生活を想像できません。

    そして、いざ帰化手続となると何から始めていいか全くわかりませんでしたので、ネットで調べアイ・ビー飛鳥行政書士法人の梶山先生と面談し、直ぐに依頼をしました。担当の渡辺先生には税金や戸籍の整理、確定申告など難しいことばかりでしたがとても分かり易く教えて頂き全てを終えることができホッとしています。今、本当に依頼して良かったとつくづく思います。皆様本当にありがとうございました。

  • 東京都豊島区在住

    張 緯思様

    私は台湾の高雄市で生まれ高校までを過ごしました。その後日本に渡日し米国のサテライト大学で学んだ後に美術関係の会社でプロジェクトコーディネーターとセールスの担当をしています。

    私は幼稚園の時から日本語の漢字や文字を書き写し、身近に日本の言葉を習得することができました。以前私は家族と良く日本に旅行に来ていました。

    そして日本の街並みはディズニーランドのようにありえない程綺麗だと感じました。加えて、日本には壮大なスケールの山々、国中に点在する美しい寺院や庭園、電車やバスが時刻通りで治安面で不安になることはありません。将来日本で生活したい、という夢があり、大学に進学する前に日本2度ホームステイをしました。

    初めて日本人と交流する事があり全てにおいて日本の方が進んでいると身をもって感じるようになりました。そして、帰化の要件が満たす時期にアイ・ビ―飛鳥行政書士法人をネットで見つけ帰化の相談に行ったのです。理由は2つあり、1つは私は日本語能力は問題ありませんが、やはり台湾の書類の収集や翻訳は非常に困難を極め、そしてもう1つは帰化申請中に会社の就労状況に問題があり2度も転職する事になってしまったのです。

    その際はいつも梶山先生が相談にのってくれ精神的にとても支えて頂きました。そして、長い申請を経て今日こうして日本国民になる事ができたのです。最後に担当していただいた渡辺先生、精神的に長い間支えていただいた梶山先生、本当に感謝しかありません。ありがとうございました。

  • 東京都葛飾区在住

    Y.芝綺様
    <インタビュー動画>

    私は台湾台北市で生まれ同国内の高校を経て同国内の大学を卒業後に渡日し現在は貿易関係の会社に従事しています。私が日本に興味を持ったきっかけは高校時代に日本の音楽番組を見て日本の音楽やアイドルに惹かれたからです。その後は日本という国そのものに興味を持ち、歌舞伎、落語、能楽など奥深い日本文化の素晴らしさや四季折々違った顔を見せてくれる美しい自然の表情に魅了されました。

     日本の好きなところは国民性が素晴らしいところです。日常の振る舞いは上品で礼儀正しく見え、他人の気遣いにとても感心します。又、衛生環境が整っていて街にゴミが少なく公衆トイレも清潔で快適に利用できます。他人に気遣うという国民性だからこそ一人一人の思いやりが維持できるのだと思います。

     私が日本に帰化する主な理由は日本は平和で安定した国だからです。現在の対中関係は緊張状態が続きこの先いつ有事が起こるか解らない中、当事国の国民としては身の危険をものすごく感じます。したがって私は平和で豊かなこの日本で帰化するために自分自身で申請の準備を進めましたが、やはり不安だった本国台湾の翻訳で3カ月間何も進めることはできませんでした。そして仕事との両立で一向に何も進まずストレスの限界に達した時に、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡を入れました。梶山先生と面談することができ時間をかけて先生と話した結果全てをお任せする事にしました。今全てがあっという間に終わり今は本当にすっきりした気分です。最初から依頼すればよかったとつくづく後悔しています。アイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都中野区在住

    S.スマン様

    私はネパール ガンダキプラデーシュで生まれ同州内の高校を経てネパール国内の大学に進学しましたが中退後渡日し日本語学校で日本語を学びました。その後日本国内の大学に進学し卒業しました。現在は日本国内の流通産業で営業の仕事をしています。

    日本に興味を持ったきっかけは経済的発展している国だからです。そして、興味を持って日本について調べてみると時間やルール、マナーをしっかり守る事が当たり前である国民性だということがわかりました。

    日本で生活してみると、きちんと挨拶をするところや勤勉な姿勢などそのような国民性を肌で感じることができました。日本の好きなところは多種多様な魅力的な文化があるということです。寿司やお茶などが美味しいし、食文化や侍や忍者など古くから歴史ある文化、桜、紅葉など季節の移り変わりが美しい四季を楽しむ文化などとても趣があります。

    私が帰化を決めた理由は日本文化に慣れたことで日本はとても生活しやすいと感じておりこのまま日本国民として暮らしたいと考えたからです。

    そして以前から転職の入管手続きなどお世話になった梶山先生に帰化手続きをお願いすることになりました。私は家族の事などいろいろ心配なことがあるのですが先生はいつも解り易く結論も端的に説明するのでとても心強いです。この度はお世話になりましたがこれからも色々よろしくお願いします。

  • 埼玉県ふじみ野市在住

    許 鼎 様

    私は中国福建省長楽市で生まれ小学校から高校までを福建省で過ごしました。その後日本に渡日して日本語学校を経て日本の大学を卒業致しました。
    私が日本に興味を持ち始めたきっかけは、日本の高度な技術の賜物である戦国時代のゲーム「太閤立志伝」シリーズや「信長の野望」でした。それは美しい映像と高い自由度で他にはない臨場感が楽しめるので一時は趣味を超え本当に夢中になりました。
    渡日後の日本での暮らしは治安が良く街並みが綺麗でインフラも整備され、だれでも安心安全で生活を送ることができるすばらしい国だと思います。又、日本人の人間性は人々がお互いに相手を思いやり大事に思いながら付き合うので日本人の他人を尊重する国民性には頭が下がるのと同時に今後の人生も永遠に日本で暮らしていきたいという強い憧れの念を禁じ得ませんでした。私は日本に帰化して日本で学んできた知識を日本で活かし今までお世話になってきた方々や日本社会に微力ながら恩返しをしていきたいと思っております。しかし、いざ自分が帰化の準備をしてみると毎日の仕事の中でなかなか整理と準備が進まず、結局6カ月間は何もしない日々が続きました。そして、もうこれ以上自分で準備しても何も進まないと思いサイトでアイ・ビー飛鳥行政書士法人を見つけ,ここなら全てを任せられると思い梶山先生と面談し当日フルサポートプランで依頼をしました。その後コロナの影響などがありましたが、担当していただいた藤村先生が優しく親身に対応してくれたおかげで全てが終わりました。本当にお世話になりました。

  • 東京都新宿区在住

    ララティ様

    私はミャンマーカレン州で生まれ、地元の学校を卒業後ヤンゴンで弁護士を目指し法律系の大学を卒業後に日本に渡日しました。
    日本に渡日した印象は、街にゴミはなくいつも綺麗であったり窃盗や犯罪の恐れがないのでどんなところにも無人の自動販売機や、どんなに急いでいても必ず順番をしっかり守る国民性など、どれも私の想像を超えるものばかりでした。

    又、年金制度によって老後も安定して生活ができ、健康保険制度によって治療費を気にせず病院に行くことができるのも安心して生活できる日本の魅力の一つだと思います。

    このようなことから帰化を決断したのですが、現在のミャンマーは国軍のクーデターによって民主化運動する国民は次々に国軍によって理由もなく殺されています。

    したがって、自分の本国であるミャンマーにも帰ることができず、親や兄弟にも本国書類を頼みましたが残念な事に全ては準備できませんでした。そして、友人に相談したところ、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人を紹介してもらいました。

    その後、梶山先生や担当していただいた藤村先生の努力に支えられ帰化をすることができました。本当に感謝しかありません。ありがとうございました。

  • 東京都江戸川区葛西在住

    T.K.クアン様

    私は北米で生まれ、国立大学を経て渡日し、東京大学大学院で学び卒業後はIT企業に就職し、現在はITエンジニアとしてサービス運用部に所属しています。
    私が日本に興味を持ったきっかけは日系文化会館で開催された祭典に私がボランティアで参加し日本の文化に触れたからです。それ以来日本という国にとても惹かれ、日本の映画、ドラマやアニメを観て言葉を覚え、日本の作家の小説を読み文字を覚えました。中でもドラマ「ドラゴン桜」に多大な影響を受け東京大学大学院に進学を決めました。
     日本の好きなところはインフラが整備されているところです。きちんと舗装された道路や時刻どおりにくる電車、丁寧に対応してくれる病院など公共の福祉のための整備が行き届いている事に大変魅力を感じます。私が帰化する主な理由は日本で生活していると心が落ち着くからです。そして、日本で定住するために家を購入するつもりです。
     ただ、いざ帰化を決めたものの何から始めたらいいのか全く解りませんでした。ですからやはり「帰化」という大事な手続きは全てプロに任せるのが賢明だと考え、ネットで検索したところ、他とは比較にならない情報量と説得力がある記事、そして安心感で、さっそく梶山先生と面談し全てをお願いしました。その後瞬く間に全てが終わり、プロにお願いして本当に良かったと思います。
    そして、アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都青梅市在住

    萍 恵良 様

    私は香港大埔で生まれ香港内の小・中・高を経て大学卒業後、日本に渡日しました。

    私は幼い頃から日本の歴史や伝統文化に興味を持つようになり、それがきっかけで日本の食文化がとても好きになり、中でも海鮮や寿司、天ぷら和牛などは大好物です。渡日してからは街や駅などの公共施設などにゴミ箱のないところにもゴミが落ちていないところに大変心が打たれました。それだけではなく、日本は街全体の治安も良く人々がとてもマナーを大事にしていることが当たり前のように行われているところにとても感動致しました。

    現在は、流通業界で企画の仕事に従事していますが、将来は日本で資金を募い早く帰化をして様々な農園を持つ就農者になることが私の将来の大きな夢です。しかし、私は香港での書類に問題があり、その事がネックになって中々帰化が進められませんでした。その時、ネットでアイ・ビ―飛鳥行政書士法人を検索し、梶山先生とお会いし香港での書類の問題を解決して頂き帰化申請することができました。今後は自分の夢に向かって頑張ることができます。梶山先生本当にお世話になりました。本当に心から感謝致します。

  • 東京都練馬区在住

    マウンマウンミン様

    私はミャンマーヤンゴン市で生まれ育ち母国の大学を卒業後母国で自動車販売の勤務を経て渡日しました。私が日本国への帰化を決断した理由は大きく二つあります。
     1つ目は日本人の「困難へと立ち向かう姿勢」に強く惹かれたことが理由です。阪神淡路大震災や東北大震災などこれまで日本はその歴史の中で幾多の災害に見舞われてきました。しかしそのたびに日本の人々は下を向くことはなくひたすらに「災害」という荒波を国民全員で乗り越えてきました。この荒波に立ち向かう日本人の姿はとても勇敢で同じアジア人として大変誇りに思うのと同時に私も見習わなければならないと自戒するばかりでした。
     そして2つ目はそのような日本人を見ている中である感情が自分の中に芽生えたことに気づいたのです。それは「日本の力になりたい。」という願いに近い感情でした。しかし今ミャンマーは長い内戦が終わり、また国軍のクーデターによって私の知っている人々が民主化デモに参加し次々に殺されています。
     そして帰化するために私も私の家族も本国の書類が不足し困っていたところ、ネットでアイ・ビー飛鳥行政書士法人を見つけ梶山先生に色々相談し私達の問題を見事に解決してもらいました。これで私も私の家族も私達が尊敬する日本国民の一員になることができます。アイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様、私達の夢をかなえていただき本当にありがとうございました。

  • 東京都中野区在住

    朴 様

    私は韓国南部で生まれ高校迄を韓国で過ごしました。そして、大学入学をきっかけとして渡日しましたが、自分自身の将来を考え自分のスキルアップのため地方の私立大学を中退し、東京にある私立大学に再入学をし卒業後外資系企業に就職しました。
    日本に興味を持つようになったのは実父が大学の国際業務を担当していたことがきっかけで、その時から家族そろって日本文化に興味を持つようになりました。その後高校生時代に日本のバンドである「GLAY」の音楽に出会い、いつか日本に行って生ライブを観に行きたいと思うようになりました。

    日本の好きなところは、古い文化をとても大事にするところです。鎌倉や京都などの伝統的な建物は数百年から数千年経った今でも手入れが行き届いており、とても立派で、素晴らしいと思います。

    又、百人一首のような古い詩も現代に語り継がれていることにとても驚きを感じます。
    私が帰化をする理由はとてもシンプルで、私が日本に存在している事が韓国に存在しているよりも自然だと感じたからです。
    そして、私が帰化手続きを進める中でとても自分ではできないと思ったのは、本国書類の翻訳や書類の収集でした。その後、アイ・ビー飛鳥行政書士法人で梶山先生にお会いし、その日に申請の依頼をしました。それ以来あっという間に全てが終わり本当に私は何もしていません。担当していただいた先生や事務所の皆様本当に有難うございました。

  • 東京都台東区在住

    唐 歆様

    私は香港で生まれ小・中・高校を経て渡日しました。私が日本に興味を持ち始めたのは宮崎駿監督のアニメからでした。 この作品の中に広がる自然なシ ーンは私にとってまるで本当に実在するかのように感じられました。

    そして、この作品の中で流れる音楽も国境を超えていくような自然の力があり私の心のおくひだに響き渡るかのような深い感動を与えてくれたので す。

    渡日後は、 日本語学校に通いながら日本の文化に触れる度に日本にもっと愛着を感じるようになりました。その後大学に進学し日本で就職することになりましたが日本に長く居れば居る程心が落ち着いてくる事が自分でも感じられ、そして公共施設での公共物を大事に扱う国民の意識も非常に高く国民全体において几帳面な性質とその意識の高さに本当に感心しました。

    そして帰化の要件が満たした時期に帰化をしようと決め、その時期の少し前にアイ・ビー飛鳥行政書土法人の梶山先生を尋ね本国香港の複雑な書類や国籍喪失の時期など詳しく説明を受け先生に帰化申請をお願いする事になりました。
    その後申請手続きの中で色々と不安なこともありましたが、臨機応変に対処していただき、今は本当に心がホットし落ち着いた気分で毎日を過ごしています。
    梶山先生、そして事務所の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都大田区在住

    トゥザーミイン様

    私はミャンマーヤンゴン市で生まれヤンゴン通信教育大学に入学後、実家の雑貨業を手伝いながら約8年間かけて大学を卒業しました。
    大学卒業後は、ミャンマー人と結婚し長男を出生しました。その後夫が渡日し、日本で就職して数年後に夫に招へいされ渡日しました。
    渡日してみて先ず驚いたことは、清潔な公共エリアばかりなところです。どこに行ってもしっかりと整理されているところにとても感動しました。
    加えて日本はとても治安が良く安全なので身の危険を感じるところが全くありません。又、日本人は規則正しく時間を守りますし、他人に対して思いやりの気持ちをもって生活しています。そんな日本人の国民性を目の当たりにして私は日本にとても惹かれました。
     私が帰化したい主な理由は自分の長男が現在鉄道学校に通い将来は鉄道会社に就職する予定なので、卒業までに帰化しなければ鉄道会社に就職することができないからです。しかし、現在本国ミャンマーは国軍のクーデターの厳戒令によって、自由に国内を移動することができず、帰化するための本国書類が集まらず、長男と私の希望である帰化をかなえる事ができず、とても悩んでいたところ、息子がアイ・ビ―飛鳥行政書士法人をネットで見つけ、そして息子と二人で梶山先生と面談し、その後帰化申請をすることができました。
    目の前が真っ暗だった数か月前のことを考えると、今は何もかも信じられないくらい幸せです。梶山先生、そして担当していただいた藤村先生本当にありがとうございました。

  • 東京都大田区在住

    ツタアウン様

    自分はミャンマーヤンゴン市で生まれ幼少期に父親の招へいにより渡日しました。
    その後大田区内の小学校・中学校を経て現在は昭和鉄道高等学校に通学しています。
    日本の好きなところはサブカルチャーであるアニメがとても素晴らしいところです。迫力のある映像技術や耳障りのいい声優達の表現などが世界に誇れる日本の文化だと思います。
     又、広く親しまれているファミリーレストランも大好きです。圧倒的なメニューの豊富さや定価価格なのに美味しい料理などとても魅力的です。
     そして、何よりも日本は優れた鉄道技術が素晴らしいです。300キロも出る速度なのにもかかわらず乗客に揺れを感じさせない新幹線が1分の狂いもなく運行する技術は世界トップだと思います。自分はその世界のトップの日本の鉄道会社に就職するために現在の学校を選択しました。ところが、高校に入学して初めてわかったのですが外国人は日本の鉄道会社に就職することができない、という事でした。自分と母はその事を知った時は本当に希望を失いました。しかし、簡単にあきらめるわけにはいきません。必死にスマホで検索しアイ・ビ―飛鳥行政書士法人を見つけ、すぐに梶山先生に面談をしに行きました。その後、自分や母親の書類を学校帰りに事務所に届け、ミャンマー本国の書類は色々と問題がありましたが、梶山先生や担当の藤村先生のおかげでまたたく間に全てが終わりました。自分はもっと勉強して将来は鉄道会社に必ず就職します。事務所の皆様本当にありがとうございました。

  • 埼玉県児玉郡美里町在住

    王風玲様

    私は香港仔で出生し香港島内の高校を卒業後渡日し、大学別科で日本語を勉強しその後大学に進学し修士を取得し卒業しました。
    大学卒業後は、日本の貿易会社に就職し香港や中国国内での貿易事業に関する現地視察や交渉のため頻繁に出張しました。日本に興味を持ったきっかけは、香港のテレビ番組で北海道の綺麗な景色を見て、将来大人になったら「自分でこんなところに住みたい。」と思ったからです。そして、日本の好きなところは料理が美味しいところです。少ない調味料で素材を生かし、その素材そのものの持っているおいしさが味わえるのでとても素晴らしいと思います。
    私が帰化したいと思うに至った主な理由はもう10数年日本に住んでおり人間関係や仕事などで関わるのはほとんど日本人なので、日本がもはや私の「母国」でありそんな日本でマイホームも購入し一生家族とともに暮らしたいと考えたからです。
    しかし、自分自身で帰化手続きを進めてみると、法務局の担当者は一方的に事務手続きを説明するのでわからないし、仕事の合間に相談に行っても1回の予約で3~4ヶ月かかるので結局1年近く自分で手続きをしましたが、何も進みませんでした。自分では早く帰化したいのに何も進まない事は本当にストレスがたまります。そこで、自分のストレスを解消するためにネットでアイ・ビ―飛鳥行政書士法人を検索し、梶山先生と面談後すぐに依頼し、気づいてみると全てが終わっていました。
    今考えると最初から依頼すればよかったとつくづく後悔しています。アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都福生市在住

    王 悧偵様

    私は香港沙田で生まれ市内の小中学校を経て高校に進学し中国国内の医学院大学で医学を学んだ後に渡日しました。
     日本に興味を持ったきっかけは子供の頃から日本のアニメや映画が好きであったことから日本を旅行することになり、それをきっかけに日本の観光地や食文化に深く興味を持つようになりました。
     渡日後は、日本語学校で日本語を学び、その後に日本の病院で就職することができました。
    日本での生活をしてみて感じる事は日本で暮らしながら一度も危ない目にあったことはりません。
    それどころかとても安全で清潔なところと感じ日本人の思いやりと礼儀正しさに日々感動させられます。日常の生活においては日本食を中心とした食生活にも慣れてきて毎日楽しく過ごしています。
     そして、この先の私の人生を考えたときにもう中国に戻って生活する選択肢は全くありません。
     その後帰化の条件を満たしたときにアイ・ビー飛鳥行政書士法人を友人から紹介していただき、申請手続きについては全てをおまかせしました。
    私は普段病院勤務なので全く時間が取れないためすべておまかせした結果、気づいたら全てが終わっていた、という印象です。
    本当にプロにおまかせして良かったとつくづく思います。梶山先生本当にお世話になりました

  • 東京都港区在住

    余 栄様

    私は香港屯門で生まれ九龍に移り、小・中学校を卒業後、日本に渡日しました。
    渡日以後は日本では高校を経て大学を卒業しました。

    私が日本に渡日して感じた日本の良いところは、都会か田舎かを問わずどこでもきれいなところです。又、私は学生時代アルバイトをして帰宅するのがいつも遅かったのですが、街中では怪しい人が少なくて安心して帰宅できるところがすごいと思いました。
    私が帰化をしようと思ったきっかけは、自分の価値観や性格などが日本人と似ていると感じたからです。例えば、日本のカップルならデート費用などを男女が平等に支払うのがあたりまえであると思うところや、家族の間でも物事に対してしっかり「ありがとう。」と伝えようとするところです。

    そして、私には現在大事な日本人の婚約者がいるからです。この婚約者とともに私は将来同じ日本国民として暮らしていくために帰化を選択したのです。
    しかし、私と中国の家族はとても複雑な関係で帰化に必要な書類を集めることができません。2年以上自分で頑張ってみましたが何も進みませんでした。
    そして、婚約者と相談の上、本当のプロにお願いしようということになり、婚約者の同席のもと、アイビー飛鳥行政書士法人の梶山先生と面談する事ができました。結果的に今まで私が苦労をした2年間は何だったんだろう、と思うくらい数か月で全てが終わり、今は本当にスッキリしています。

    最後に梶山先生、私の悲しい心情を察して頂き、何のストレスもなく終わらしてもらい本当にありがとうございました。

  • 神奈川県茅ケ崎市在住

    褚 延麗様

    私は中国山東省で生まれ中国国内の高校を経て北京の飲食店で修業した後日本に渡日しました。
    渡日以後は、友人の飲食店でしばらくコックとして働きましたが、現在の夫と出会い数年間交際後プロポーズをされ結婚することになりました。
    私が渡日をして感じた事は国民全体がルールをあたり前のように守る国民性に大変驚きました。
    更に感動するのは役所の手続きなどで本当に親身になって教えてくれる事です。中国での公安当局と比べたら比較にならない程のすばらしさです。
    そして、私が帰化をしようと思うに至った理由は、この10年間日本に在留する中で日本の文化に触れ、多くの方々に支えられて生活をしてきました。そんな日本で主人とともに末永く生活していきたいと思ったからです。
    しかし、いざ帰化手続きをしようと思ったときに、やはり自分や夫だけでは手続きをすることが不安だったため、サイトで検索し経験豊富なアイ・ビー飛鳥行政書士法人を見つけ、梶山先生と面談しすぐに依頼をしました。現在は結果が出て本当に安らかな気持ちでいられます。アイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都大田区在住

    ドリス様

    私は、アフリカの北に位置するモロッコマラケッシュで生まれ同国の高校を経てアーミーロイヤル(軍隊)に入隊し陸軍に配属された後、モロッコ国内の軍事施設等の勤務を経て数年後に除隊しました。その後モロッコ国内のホテルに勤務後に日本人の女性と知り合い数年間の交際後モロッコで結婚し、2人で話し合った結果日本に渡日する事になりました。
     私が渡日した場所は京都だったので、本国モロッコとは全く違う文化に触れ、かなり強いカルチャーショックを感じたことは今でも鮮明に覚えています。
     その後京都の魅力に惹かれ日本で長く生活しようと決めたのです。その後私は日本で色々な事業や仕事を経験し紆余曲折ありましたが、現在のパートナーと相談し帰化を決断しました。
     そして、長い歴史と帰化実績が豊富なアイ・ビ―飛鳥行政書士法人に全てをお願いしました。最初はとても不安でしたが、経験豊富な事務所なので最後まで全くストレスを感じる事なく終わりました。梶山先生とも気が合い良く話をしたので今では本当に満足しています。皆さん本当にありがとうございました。

  • 名古屋市在住

    M.D様

    私は新疆ウイグル自治区で生まれ大学まで進学しその後、渡日し日本語学校を経て大学に編入し卒業しました。
     私は幼い頃から、日本のアニメを通じて日本の車文化にとても興味を持ちました。
    そして、いつの間にか高性能で安全な日本の自動車づくりに携わりたいと強く思ったのです。
     現在はその夢が叶い日本の自動車メーカーに関する仕事に従事しています。日本では、車の運転をする時にお互いに道を譲ることが当たり前となっています。私はこのような日本人の思いやりと成熟した社会にとても感動しました。又、日本はとても治安が良く自由で安全な国で身の危険を感じることはありません。私の生まれた新疆では独立活動の影響で常にテロに怯えながら命の危険の中で生活しなければなりません。そこに自由は全くなく閉鎖的な環境でした。日本での暮らしに慣れてしまった私には日本以外での生活は考えられません。そして、私が帰化しようと決断した時に考えた事は私の難しい状況環境の中で帰化ができるのか不安でしたが、名古屋から東京の梶山先生の事務所で面談をし不安は全て払拭できました。
     今は全てが終わり本当に安らかな気分でいられます。梶山先生を初め事務所の皆様本当に有難うございました。

  • 東京都港区在住

    ユリア 様

    私はロシア連邦ハバロスク地方で生まれ本国ロシアで大学まで過ごしました。
    日本の文化に初めて触れたのは中学校の授業でひらがなやカタカナを覚えるために、同時に日本の歌も一緒に学んでいたのですが、全てが面白くなり日本についてとても興味を持つようになったのです。大学に入学した時には、第二外国語として日本語を選択するまでになり、そして大学在学中に二度も日本に短期留学することになりました。
     大学卒業後は日本で生活することを決意し渡日しました。渡日後、日本の特別なところを何点か実感することができました。それは歴史のあるお寺を通して感じられる日本独特の詫び寂びにはじまりまり、それが日本人の心配りの優しさや礼儀正しさに繋がっているのだと感じました。さらに周りとの協調性を重視し秩序を重じる精神は世界に誇れるほど立派で素晴らしい事だと思います。
     私は世界に誇れるこの日本で日本国民になれたことはとても感慨深いことであり、私の夢をかなえてくれた梶山先生そしてアイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様、本当に有難うございました。

  • 東京都品川区在住

    詩 恩 様

    私は広東省茂名市で生まれ大学まで広東省で過ごしました。私が日本を好きになったきっかけは私が18歳の時、中国深圳の日本料理店でアルバイトをしていた時にはじめて日本人のお客様と接して優しく励ましてくださった事が強く印象に残っています。
     又、中国人のお客様からは一度も励ましてもらったことがありませんでしたので日本人の心の暖かさをしみじみと感じました。
     日本の好きなところは街並みがとてもきれいで整頓されていて環境をものすごく大事にしていて空気がきれいで生活して行く上で住みやすく、その上治安が良いので安全で精神衛生上とても良いと感じました。
     さらに日本人は人との付き合いを大事にしお互いを尊重しあうところがとても良いと感じています。日本は個人を尊重するので自分自身がやりたい事や考えている事が何でもできますし、努力をすればその考えている事が実現できることがとても魅力的です。
    これからは査証なしでどこへでも自由に翼を広げてできるので、今はとても幸せです。
    この幸せの実現をお手伝いしていただいたアイ・ビーの皆様、そして梶山先生心から感謝申し上げます。謝謝。

  • 東京都杉並区在住

    孟 政璋 様

     私は台湾彰化県で生まれ本国の大学院で修士号を取得しました。その後オーストラリアのワーキングホリデービザを取得し約1年間オーストラリアのホテルで飲食店や接客・事務など様々な業務を経験しました。

     その後台湾に帰国後渡日し、中国・英語・日本語能力を生かした外資系の事業会社の日本支社で勤務しています。

     私が日本に興味を持ったきっかけは、日本の代表的文化であるアニメやドラマを日本語の勉強も兼ねてよく視聴していたことや、その延長線で日本の音楽や古着ファッションに惹かれたことなのです。

     私が帰化を決断した理由は、日本での生活に慣れ様々な人間関係も構築されてきており、語学力を活かすことができてやりがいを感じている現在の仕事を末長く続けたいと思ったからです。

     そして、私の人生で最大の決断である「帰化」手続きは、長い歴史を誇り3,000人以上の帰化実績があるアイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いをしました。

    結果的には私自身は何のストレスも感じることがなく、さすがに伝統あるプロだなと感じました。担当された岩本先生やアイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様、本当にお世話になりました。

  • 東京都新宿区在住

    アブドラザ・A・H 様

    私の父は元アフガニスタン政府の高級官僚で国内での内戦勃発後亡命する形で日本国に渡日しました。
    私の異母兄や数名の姉は本国アフガニスタンで生まれましたが、数多い兄弟の内半分程は日本国で生まれ育ちました。私はある地方都市で生まれ、父の仕事の関係で日本各地を転々としながら成長しました。
    私の日本の好きなところは、日本人が持つ独特な大和魂です。日本は「人を大切に想い敬意を払う心」が存在しておりその礼儀を尽くす精神は古くから身分や時代を超えて受け継がれてきた賜物です。
    私が日本で尊敬し憧れる人は「経営の神様」といわれた松下幸之助です。松下は生家の事業の失敗により学校も満足に卒業することができない環境であったにも拘らずいくつもの逆境を乗り越えながら自身の道を切り開き一代にして世界的企業を創り上げました。その不屈の精神は私自身の人生の教科書ともなっています。
    この日本の地で生まれ、日本人の持つ和の心は私の中にも生まれながらにして宿っており、日本人の思いやりや備わった人徳に触れる度に私の心根が共鳴するのです。私の故国はアフガニスタンですが、私の生まれ育った日本は私の母国であり、今日までの人生をたくさんの方々に助けられてここまで成長してきたのです。そして、これからは今までお世話になった方々、それと私を育ててくれた日本に生涯を通じて恩返しをしていくつもりです。
    最後にとても複雑な本国書類や精神的にも支えてくれたアイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様、本当にお世話になりました。

  • 東京都品川区在住

    陳 雅雯 様

    私は台湾台中県で生まれ、国立台湾大学卒業後国内のホテルに入社しました。その後ホテルを退職しフランスの大学に留学したのです。しかし、フランスでの生活は本国台湾と生活環境も全く違うことからなじめず、結局大学を中退し本国に一旦戻ったのです。その後日本に渡日し東京の日本語学校で日本語を学ぶことになりましたが、日本での生活はとても自分自身にとってはなじむことができたので、是非再渡日して日本で就職したいと強く思うようになりました。

     その後、本国に帰国後本国で再就職しましたが、日本での生活が私自身の生活スタイルにとってもマッチしていて充実した気持ちで過ごしたことがとても忘れられず数年後に再渡日して日本で就職することができたのです。

     私がとくに日本の好きなところ、つまり自分の気持ちが落ち着くのは、いろいろな神社仏閣を巡ることです。それは、神社仏閣を巡ることで不思議と都会の喧騒から離れ独自の空気感によって自分自身を落ち着かせ心身ともにリラックスさせてくれるのです。又、訪ねた神社仏閣には日本独自の長く受け継いできた歴史があり、そのことを学ぶことも神社仏閣を巡る魅力でもあります。

     そして、今後の私の人生は安寧の国であるこの日本で「日本」国民の一員となり穏やかな人生を送ることに決めました。私の人生の夢をかなえてくれたアイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にお世話になりました。

  • 名古屋市在住

    G.U 様

    私は新疆ウイグル自治区で生まれ大学までを中国で過ごしました。その後渡日し中部地方の大学を卒業しました。私は幼い頃からファッションに興味があり、世界の中でも日本のファッションが一番好きでした。日本はどこに行っても清潔感があるし綺麗であり特にトイレはどこの施設でも清潔に保たれているので私はとても感動しました。
     更に日本の優れているところは治安の良さです。新疆は言論の自由が全くなく公安の取り締まりや独立活動等の影響でいつもテロの脅威におびえながら暮らさなければなりません。しかし、渡日してからはそのような心配をすることは一度もありませんでした。
    この事は、日本では当たり前の事ですが、私にとっては人生の中で初めての経験であり振り返ってみると非常に幸せな事だと思います。
     そして、これからも安全で自由な日本で末永く暮らすためにアイ・ビー飛鳥行政書士法人に帰化手続きをお願いしました。梶山先生とお会いし良くお話しを聞き直感でこの方なら全てを任せられると感じました。そして結果が出た現在において私の直感は間違っていませんでした。梶山先生を初め事務所の皆様本当お世話になりました。

  • 東京都在住

    パリザティ・M・T 様

    私は中国新疆ウイグル自治区カラマイ市で生まれました。地元の小学校から高校を経て本国の大学で学士を取得し卒業しました。
    私は現在アパレルショップで勤務していますが、私が日本にとても興味を抱いたのは日本のファッション文化です。原宿や渋谷などに見られるように、人々の身にまとう衣服がとても個性的で多様性に溢れています。その自由な環境と個性を表現することが可能な日本社会に強く心が惹かれたのです。そして日本に渡日してみると、感動させられることばかりでした。
    渡日したばかりのとき、右も左も解らず言葉も通じない私に対し、日本人は理解しやすいように工夫して物事を伝えてくれたり、行政機関やサービス施設においても親切・丁寧な対応をしてくれました。したがって、国籍や年齢・性別に関係なく誰に対しても分け隔てなく接することのできる日本人の国民性が私の心を温かく包み込んでくれたのです。
    そして、心温まるこの日本で帰化したいと思いその準備をしたところ、様々な障害が発生したのです。具体的なことは説明できませんが、私自身が帰化を進めようとすれば本国の状況や情勢を考えた場合、私自身や私の家族に命の危険が及ぶのです。
    そして私は考えた末にアイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡を入れ、帰化について相談をしたのです。
    そして相談した結果、私が帰化を諦めることなく申請手続きをすることができたのです。やはりこの事務所は歴史も長く本当のプロだとつくづく感じました。梶山先生はじめ事務所の皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都西東京市在住

    ダボ・アミナタ様

    私の故国はアフリカ大西洋沿岸にあるシエラレオネという国です。
    私の両親や兄などは故国で生まれましたが、兄弟の多い私達は父の仕事の関係で世界の様々な国で生まれ、そして生活をしてきました。
    私は日本で生まれ、もちろん小学校から中学校は地元の義務教育を受け高校はバスケットの関係で八王子市内に通うことになりました。
    そして大学に入学した頃から「日本」国民になりたいと強く意識するようになりました。
    その後大学での単位も目処が立ち就活をするようになった頃から卒業前には帰化の手続きをしたいと思い毎日のようにサイトを見ていたところアイ・ ー飛鳥行政書士法人を見つけたのです。このサイトのコンデソを読めば読むほど色々な国の人が色々な事情で「帰化」にたどり着いているんだなあと思い私はいてもたってもいられなくなり、早くここに行きたいと思い母親に同行してもらい梶山先生にお会いしました。そして先生から帰化の流れの説明を受けましたが驚いたのは先生の事務所に私の大学のOBがおり良く知っている方だ ったのです。私と母親は何の躊躇もなく先生にお願いすることになりました。
    そして依頼から2ヶ月位で帰化申請は無事に終わりました。帰化を考え始めた4年間がとても長かったのであまりにも帰化手続きがあっという間に終わってしまったのでびっくりするのと同時にやっぱりプロはすごいなと思いました。
    私の就職先も誰もが知る一流企業でほっとしていますが、この就職先に「日本」国民として就職できたのも先生のおかげで間に合うことができました。
    とても短い間でしたが本当に感謝しています。ありがとうございました。

  • 東京都品川区在住

    魏 莱 様

    私は、中国東北部黒竜江省ハルピン市で生まれました。   
    私の出生地ハルピン市は昔、満洲だった時代がありました。そして、私の母の父、つまり私の祖父は日中戦争の時、怪我をしてた日本人の治療をしてあげたことの話を聞かされ、私は母から「国、性別、出身ではなく、人間の立場から何でも考えるべき」との価値観を教育されたため日本の文化(映画、音楽)などについて全く抵抗感がなく自然に好きになりました。

    とくにテレサテンは台湾人でありながら日本語の歌詞で歌っていたのでそれがきっかけで日本の音楽がより好きになっていました。
    そして、本国の大学を卒業後2年くらい本国で就職しましたが、日本に対する想いが捨てられず日本へ渡日することを決断したのです。

    その後日本語学校を経て、東京の大学で修土を取得し卒業致しました。日本での就職は日本と中国を往来する事業に携わりやりがいのある仕事に従事しています。
    日本社会に慣れて毎回中国に帰る度に逆に違和感を感じ中国的な社会に全く適応できなくなっている自分がいることに気づき両親と相談の上「帰化」を決断しました。
    そして、安心確実に帰化ができるようにアイ・ビ-飛鳥行政書士法人を選びました。

    その後梶山先生とお会いして直ぐに帰化申請の依頼をしました。
    自分でも驚きましたが、申請から9箇月で「帰化」することができました。
    今では当社の就労VISAの申請もアイ・ビ-飛鳥行政書士法人にお願いしています。
    あらためて、アイ・ビ-飛鳥行政書士法人の皆さん本当にお世話になりました。

  • 東京都足立区在住

    陸 雯婷様

    私は、上海市で生まれ母が日本人と再婚して渡日し、その後母に招へいされた、いわゆる連れ子定住として渡日しました。渡日後は早く日本慣れるため日本語学校で学び、又手に職をつけるため色々な料理学校や最終的にはパティシエ学校にも通うようになりました。

    その後、様々な料理店で働くことになるのですが、20代後半になった頃本国中国でやり残した事、つまり10代後半に母親に前ぶれなく日本に招へいされたために、やむを得なく学校を中退して渡日してきたので本国中国で、できれば夜間、通信でもいいので大学に入り直したいと思い、本国中国に帰国し入試試験や授業参加など何も解らなかった私は本国に6ヶ月(約180日)以上滞在したのでした。

    その後、帰化申請をする際にこの帰国日数が、私自身の帰化申請に障害となることが解ったのです。そして、色々な行政書士事務所に連絡をしましたがにべもなく断られ、やっとたどり着いたのがアイ・ビ-飛鳥行政書士法人でした。その後、梶山先生とお会いし事情を話したところある方法で帰化申請ができることになったのです。

    そして、今私は「日本」国民となり自分で思った障害を諦めずに帰化のプロに頼んで良かったとつくづく思います。先生、事務所の皆様本当に有難うございました。

  • 東京都江戸川区在住

    ジャヒル フセイン 様

    私は、インド南部タミルナードゥ州に生まれ現地の名門大学で電子工学を専攻し学士を取得したのちに日本に来ました。私が渡日することを決意した最大の理由は「人生を懸けて世界を変えるような仕事がしたい。」ただこの一つの情熱でした。
     
    故国インドでもそれなりに「やりがい」とある程度の収入がある仕事はありました。しかし、エレクトロニクス技術で世界を牽引するこの日本で、自分の人生を賭けて勝負をすることに価値を感じたのです。

    渡日をしてからは、決して楽な道のりではありませんでした。先ず、日本語を覚えることから始まり、何もないところから始めたビジネスも二歩進んでは三歩下がる、そのような日々が続きました。
     
    すると、いつの間にか周りには応援してくださる方々が増え、やりがいのある仕事に取り組むことのできる一流の企業へと成長を遂げていったのです。

    その後、事業も軌道に乗った頃現在の妻と婚姻し、2人の子供にも恵まれました。そして、数年前に家族4人で「帰化」の申請を行いましたが、非常に残念でしたが結果は「不許可」に終わりました。その結果に日本で生まれた2人の娘達は相当ショックだったようです。

    そして、愛する娘達のため、最愛の妻のため今度は確実に帰化ができるようアイ・ビー飛鳥行政書士法人に依頼し、前回の不許可の原因をプロの目で厳しく指摘してもらい慎重に帰化「再申請」を進めた結果、念願の「帰化」ができました。

    私たちの夢を叶えてくれた梶山先生そしてアイ・ビー飛鳥行政書士法人の皆様本当にありがとうございました。私達家族は「日本」という愛と希望で満ちたこの国へ心から恩返しをしてきたいと考えております。

  • 神奈川県横須賀市在住

    D・クイン・チャン様

    私は、ベトナムの東北に位置するクアンニン省で生まれました。その後ベトナム国内において大学に進学しましたが本格的に日本語を学ぶため国内では有名な大学に再入学し、日本語を修得しました。私が日本に興味を持ったきっかけは私の実母の妹つまり、私のおばさんが「日本」人と結婚したことで私は子供のころから日本のことを良く聞いていたし、子供のころから「日本」をとても身近に感じて成長しました。

    ベトナムでも日本のアニメは盛んに放映されており、とくに「ドラえもん」が放映される日私は欠かさずに視聴していました。
     又、家電製品も子供の頃から「日本」製に接し私は成長するにつれ経済的にもアジアでもっとも豊かな「日本」に行きたい、そして生活をしたいと思いつづけていました。その後念願が叶い日本に渡日することができたのです。渡日してみて、「日本」人は私が考えていたよりもっと優しく真面目で勤勉だったのでとても感心しました。

     そして、この尊敬できる国民の一員になりたくてアイ・ビ―飛鳥行政書士法人に相談に行ったのです。初めて梶山先生とお会いした際に「お父さん」「お母さん」の了解は取りましたか?と質問され、私が「まだです。」と答えたところ、梶山先生はお父さん、お母さんとじっくり話をして了解をとってから又来なさい、と言われ、その優しさに涙が止まりませんでした。

    その後父母の了解も取り、再び先生に帰化申請を依頼しました。又、朝夷先生には帰化後の名前も姓名判断で選別してもらいとても満足しています。今後は新たな名前とともに「日本」国民として誇りをもって生きていきます。アイ・ビ―飛鳥行政書士法人の皆様本当にありがとうございました。

  • 神奈川県横浜市在住

    ダンティ・クィン・A 様

    私の父親はベトナム人そして母親はラオス人です。
    私の両親はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)後に起きた内戦の影響で空爆などによる大きな被害を受け私の母親の実家の居宅は焼失し街や、近隣の山などが全てなくなり、村全体が廃墟となりました。

    そして父親もベトナムで同じ環境の中、タイ国にある難民キャンプでの生活を数年間経て、父親と母親はインドシナ難民として日本に渡日しました。その後父親と母親は日本国内にある定住促進センターで出会い、同センター内で数年間「日本語」の勉強や「生活」等の基本的訓練を受けた後、関西にある定住促進センタ-から神奈川県内に移り住み父親も定職に就き、父と母の共同生活が始まったのです。

     その後、数年経過後に母は私を身ごもったのですが父親はベトナム本国に残した家族が居たらしく、母との結婚はもちろん私を認知することさえしなかったそうです。その事がきっかけで父と母は永遠に別れることになったので当然ですが私は父のことを何も知りません。
    そして、母は自分が1人になっても私を産むことを選択してくれたおかげで、今の私が存在しているのです。私は今、母が私を産んだ年頃になりつくづく私の母親は強い人だと思うし、私を産んでくれたことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。だから私が早く「日本」国民になって私のために苦労をした母親に早く恩返しがしたいのです。

     そして、私のような複雑なケ-スはとても「帰化」することは難しいとあきらめていたのですが約1年間アイ・ビ-飛鳥のサイトを見続け悩みましたが、自分の「帰化」と母親に対する恩返しのため勇気を振りしぼってアイ・ビ-飛鳥に連絡をし、梶山先生と面談後、数か月後に複雑な案件をまとめていただき帰化申請をし今、長かった夢がかなったのです。

    担当していただいた岩本先生、本当にお世話になりました。
    そして、これから私は「日本」国民として母親に恩返しをし私自身も幸せになりたいと思います。

  • 千葉県千葉市在住

    劉玉芸・健司様

     社会人になってからは、語学力を生かし、台湾語の通訳や翻訳にかかわる仕事に従事しておりました。そして、20代の中頃に婚姻するも性格の不一致から離別することになり、20代後半に再びOLとして働くことになりました。その後、友人の紹介で知り合った男性とつき合うことになり、やがて一人息子の健司を妊娠することになりましたが相手の男性とは訳あって結ばれることはできず、認知さえして貰えなかったのです。しかし、私はどうしても子供が欲しかったので両親にも強く反対されましたが独り身でも授かった我が子を出産すること事を決断したのです。

     その後、私達の母子家庭がはじまりましたが、ある夜息子の寝顔を見ていたら、私はたまらなく涙が溢れて止まりませんでした。それは、私達親子はこの日本で「台湾」人であり、私には「夫」息子には「父」がいません。だから言いようのない、止めどもない不安に駆られ不安でたまらない夜が続きました。そして、この不安を払拭するため、何よりも息子のために「帰化」をしようと決断したのです。

    しかし、「帰化」をよく思わない両親に加え帰化申請時に実母と口論となり台湾のマイナンバ-を取りあげられ、台湾本国書類(戸籍)が一部収集できず又、それ以外にも幾多の困難がありましたが、あきらめかけた時に、必ず支えてくれたのがアイ・ビ-飛鳥の皆様であり梶山先生でした。

     今、この念願だった赤いパスポ-トを手にした時今までの苦労や困難そして不安を振り返ると言葉では言い表せないくらいの達成感と「日本」国民として自分と息子との将来に明るい希望を持って生て行く目標ができました。私達の念願をかなえてくれたアイ・ビ-飛鳥の皆様には「感謝」しかありません、皆様本当にお世話になりました。

  • 東京都品川区在住

    ダラビ マーサ様

    私はイラン・イスラム共和国のテヘランで生まれ高校まで本国で過ごしました。
    私が日本に興味を持ったきっかけは子供の頃、日本のドラマやアニメが放映されていたので日本のことを知れば知るほど興味が強くなり、日本に住んでいた従妹からディズニーランドの写真やお土産をもらった頃から日本に対する憧れが一層強くなりいつしか私も日本に行って日本のディズニーランドに「行ってみたい」、から「行こう。」と現実に実行する計画を立てました。

     そして、本国イランの高校卒業後、父や母を説得し日本の理系の高等専門学校を経て、理系の国立大学に入学することができました。その時、自分自身に対するご褒美のつもりで憧れだった東京ディズニーランドにとうとう行くことができました。

    自分の夢であったディズニーランドは、やはり実際に足を踏み入れてもファンタジーの中にいるようでした。
     今、私は日本に渡日してから10年以上になりますが、日本の街全体がディズニーランドのように綺麗で、日本人はとても優しく礼儀正しいのでとても感心し尊敬致します。
     そして、いつの日か私もこの尊敬できる国民の一員になりたいと思うようになりました。その後、私は1年以上「帰化」をするための準備段階からアイ・ビー飛鳥行政書士法人の梶山先生に相談し、何のストレスも感じることなく、気づいてみたら全てが終わっていたという感じでさすが「プロ」だなとつくづく感心しています。梶山先生はじめ、ご担当の渡辺先生本当にお世話になりました。

  • 静岡県沼津市在住

    T・A様

    私はラオス国籍で、1975年4月以降のカンボジア、ベトナムの情勢の急変が大きな影響を及ぼし同年8月にはラオス愛国戦線が全土を掌握、12月には王政を廃止しラオス人民民主共和国が樹立され社会主義への道を歩むこととなりました。
    私の実母家族は、ラオス南部で小売業を営んでおりましたが、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)後に起きた内戦の影響で実母家族は空爆などによる大きな被害を受け、自宅や街一帯が全てなくなり、近隣住民は破壊的状況となりました。
     その後実母家族はタイ難民キャンプに逃れ、そしてそのベースキャンプ内で実母と実父は出会い形式的婚姻を行い私が生まれました。その間、フランスはじめアメリカなどに難民申請をし、日本国がインドシナ難民として受け入れてくれたのです。渡日後、定住センター内で約1年6か月職業訓練を受けこれから日本で本格的に生活が始まるという矢先に実父が病気で亡くなってしまいました。そして、残された私たち家族はお互いに助け合いながら日本で生きてきました。
     そして、ふと自分自身の人生を振り返った時に自分のアイデンティティについて深く考えるようになりました。そして、私には祖国そのものがなく、自分自身の精神的拠り所、つまり「母国」を強く意識するようになったのです。その結果として「帰化」をして「日本」国民になりたいと勇気を振り絞って行動しました。私は今、つくづく思います、今まで生きてきたこと自体が奇跡なのに、その私が日本「国民」になったことは今でも信じられません。

  • 東京都板橋区在住

    趙  禹 様

    私は中国北京市の生まれで高校まで北京市で過ごしました。そして、憧れだった日本に渡日し、日本学校を経て、日本で私学の最高峰と言われる大学に合格することができました。そして、私が日本を好きになった理由は世界でもトップクラスで町並が綺麗ですし、日本は他国と違い何千年もの長い自国の歴史や文化を大切にする国であるところです。日本国民の性質は勤勉で、他者を思いやる心や、過去の歴史を尊重する心掛けがあるからこそ現在残っている歴史的資料や国宝と言われる多数の貴重な文化財の数々が数千年もの間残されているのだと思います。
     私は日本を知れば知るほど、いつか「日本」国民になりたいと思うようになったのです。そして、大学を卒業後、数年間の就職と個人事業を営みながら、単独で2年半前に帰化申請をしました。当時、私は単独で申請したものの、その結果については、相当自信がありました。それは、私の父は本国で約1000人の従業員を雇用する経営者ですし、私自身も本国にそれなりの財産を所有していたからです。
     しかし、私の自信は時間の経過とともに喪失し、申請から2年目が経過した時には精心的にも追い込まれ、精神的ダメージは相当なものでした。そして、救いを求めるように前田先生と梶山先生のいるアイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡を入れました。先生と面談後、私の申請に何が欠けているのか適格に指摘をして頂き、自分自身では全く気付かなかった点を指導してもらいやはり、本当のプロだな、とつくづく思いました。その時、「心に決めました。」いずれ私自身がした申請が不許可になったら必ずこの先生に依頼しようと思いました。
    そして、数ヶ月後覚悟はしていましたが法務局から「不許可」の通知を受けました。
     私は、直ちにその「不許可」通知を持参し、帰化「再申請」をアイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いしました。
     今は「本当に悔やんでも悔みまれない2年間」から、開放され。先生のおかけで今では不安のどん底から安心して「日本」国民になることができる気持ちでいっぱいです。
    先生、私を心のどん底から救っていただき感謝でいっぱいです、本当にありがとうございました。

  • 東京都品川区在住

    シェイラ スジヤナ様

    私は、インドネシアで生まれ、高校までジャカルタで過ごしました。その後シンガポールに渡り大学を卒業後米国資本の製薬会社に勤務し、約10年間ぐらいシンガポールで過ごしました。私が生まれたインドネシアも大学時代も含めて初めての就職を過ごしたシンガポールは赤道から近く常夏です。そして、シンガポールは東南アジアでありながら古くからイギリスの貿易や軍事拠点として、繁栄した関係から街並も整備され非常に洗練された都市でしたので私はシンガポールで一生を過ごそう、と考えた時期もありました。しかし、それを一変させたのは仕事の関係で初めて渡日した時のことでした。初めて見た東京はシンガポール以上に洗練されており、古い町並や新しいスポットの調和が絶妙で、加えて、「四季」がありその四季という風土が育てきた、「日本」人の情緒による心の奥行に接すれば接するほど、私はいつの間にか必然的にこの国の一員になりたいと思うようになりました。
     そこで、確実に「日本」国民になるため一生に一度のことですから安心感のあるアイ・ビー飛鳥行行政書士法人に手続きの全てをお願いしました。手続き期間中には何一つストレスも不安も感じることなく、2ヶ月足らずで申請が終わってしました。そして、今の私のささやかな夢は、私が「日本」のパスポートでジャカルタ空港ゲートを通過することです。梶山先生はじめ他の先生方本当にお世話になりました。

  • 東京都世田谷区在住

    林 軒立 様

    私は、台湾台北市で生まれ市内の大学を卒業とともに日本に渡日しました。
    私は台湾にいた当時から日本の映像技術の繊細さやクオリティーの高さに憧れを持ち、台湾の両親を説得の上、日本語学校に通う傍ら、映像技術の専門学校に通学し卒業後は念願であったカメラマンとして就職しました。その後、諸事情があり、台湾に帰国したのでしたが、「日本」で働きたい。」「日本で生活を送りたい。」という気持ちが強く今度は両親の反対を押し切って、ワーキングホリデーで再び再渡日しました。再渡日後は、なかなか自分自身の目指す職場には就職ができず苦労しました。
     そして、苦労の末リゾート地のホテルで就職をすることができましたのです。そのリゾート地は積雪も多くとても「四季」が感じられるところでした。私の故郷台湾は常夏に近いので一年中暑く体が疲れてしまいますが、日本は季節がゆっくりと移ろうので気候的にとても生活がしやすく快適です。それらの理由から私はこの「日本」で一生を過ごしたい、と心の底から考えるようになりました。
     その後、自分自身で帰化手続きを進めるものの、約1年以上全く何も手続きが進みませんでした。そして、自分で手続きを進められる限界を知りました。そして、仕事と手続の極度のストレスから何とか「助けてほしい」という気持ちから、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いをし、白紙の状態からたった50日足らずで申請をすることができました。私の正直な感想ですが、法務局に行っただけで何もできなかった「1年」間が本当に無駄だったと同時に、依頼から「50日」に申請できたことは私にとっては魔法のような出来ることです。梶山先生はじめ事務所の皆様には「感謝」しかありません。本当にありがとうございました。

  • 東京都中央区在住

    鄒 黎 様

    私は、中国上海で現在の夫と出会い、日本と中国とを往来しながら現在の夫と結婚しました。
    しかし、夫も私もそれぞれに仕事をし、私自身も近年新たな事業を立ち上げるなど、お互いに時間のすれ違いができるようになりました。
    そして、ここ数年お互い別々の人生を歩むことになりましたが、数年の後、縁があり、再婚することになりました。
    その時、私たちは今後の人生を歩む選択をすると同時に「帰化」も選択したのでした。しかし、どの行政書士事務所に相談に行っても「帰化」は暫く待った方が良いとの回答でした。
     そして、諦められない私は、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に連絡をしたところ、すぐに「帰化」の手続きをしてもらい、申請受理から8ヶ月後に「帰化」することができました。
     私はこの結果に、やはり業歴の長い行政書士法人は、知識と技術が格段に違う、ということを身を以てわかりました。
    担当された梶山先生はじめ、諸先生、スタッフの皆様本当にありがとうございました。

  • 東京都世田谷区在住

    郭 智勲 様

    私は、韓国ソウル特別市で生まれ、父親の仕事の関係で10歳の時に、東京都多摩市に渡日しました。
    その時私は、全く日本語を話すことができず、何もかも全く解らない状態でしたが、その当時の小学校の担任の先生や、クラスメートがとても温かく接してくれたので、言葉も最初は身振り手振りでしたが、周りの友人達が優しくしてくれたおかげで、3ヶ月もしないうちに日本語もある程度話せるようになりました。
    結局日本には7ヶ月くらいしかいませんでしたが、その時の日本人の思いやりや心温まる優しさが忘れられず、韓国に帰国した後も、いつか又日本に行きたいと思っていました。
    そして、韓国で大学を卒業後就職し、18年後再び渡日し、5年経過後、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いして、帰化申請を致しました。
    申請中、私の帰化申請は、実母が「北朝鮮」ということもあり、難しい局面もありましたが、法務局との折衝では、梶山先生はじめ他の先生方にも色々と骨を折っていただき、ようやく申請が受理され、この度、念願だった「日本人」になることができました。これから大好きなこの日本で、温かい家庭を築いていきたいと思います。事務所の皆様、本当にお世話になりました。

  • 横浜市神奈川区在住

    カルキ ハルボル様

    私は、2009年4月に渡日し、日本語学校を経て、横浜にある大学を卒業し、そして航空関係の会社に就職しました。
    私はこの「10年」日本で色々な苦労や努力を積み重ね、今では会社内の外国人スタッフのリーダーとして活躍しております。
    そして、日頃から評価してくださっている会社の上司から「帰化」したらどうか?と何度も勧められ、そして私の母国であるネパールの両親とも相談した結果、父から「お前の人生だから、私たちのことは気にせずに、これからの自分の人生を信じて決めなさい。」と心にしみることを言われ、良く考えた結果「帰化」することに決断したのです。
    そして、「帰化」は、自分の人生を変える重大な決断だから、慎重に選択した結果、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に決めました。
    その後依頼してから数ヶ月、私は何のストレスを感じることもなく、帰化申請ができました。このたび、今年結婚した妻も日本に招へいし、今では二人でとても幸せに暮らしています。梶山先生本当にありがとうございました。

  • 茨城県水戸市在住

    篠崎 アンジュ 様

    私は日本生まれのタイ人です。
    私の実母は私が物心つく前に実父と離別し、タイ本国に帰国してしまいました。だから私自身、実母との思い出が全くと言っていいほどありません。
    その後、私は「タイ」人として成人し、大学を卒業しました。
    現在は、ある大手企業に就職していますが、この度大学から付き合っている彼からプロポーズをされたのです。
    彼は私が「タイ」人のままでも構わないから結婚しよう、と言ってくれました。とても悩みましたが、私は愛する彼との結婚は、自分が「日本」人として彼の奥さんになりたいと強く思い、また私自身の積年の悩みであった「国籍の問題」を解決したいと思い、アイ・ビー飛鳥行政書士法人の梶山先生にお願いをしました。
    数ヶ月前、私が梶山先生に初めてお会いした時に、私の悩みを全て「告白」した時は涙が止まりませんでしたが、今こうして「帰化」申請も無事終わり、とても晴れやかな気分でいっぱいです。私は「日本」人として愛する彼と結婚します。
    梶山先生、本当にありがとうございました。

  • 東京都昭島市在住

    可 思茵 様

    私は、中国広東省で生まれ、生後すぐに遺棄(捨子)されました。それは中国での「独生子政策」のため。
    特に中国の農村部では男子が生まれないと家を継ぐものがいなくなるため、親も女子が生まれると、先祖代々の家系や土地を守るため、遺棄することがあります。ですから、私は本国の証明書類を一切提出することができませんでしたが、この度、梶山先生のおかげで「帰化」の申請をすることができました。
    私は、今まで両親がいないため苦労をしてきましたが、私は「自分が自分の友達になることを学び、ついには自分の父親と母親になることを学びました。」最後に、先生本当に本当にお世話になりました。私は絶対に日本で幸せになります。

  • 東京都豊島区在住

    林 淑君 様

    私は、日本の大学を卒業後、台湾で就職したのち日本の準大手メーカー企業に総合職として就職 しました。日本に住むうちに、安定して日本に住み続けたいと思うようになり、
    又、日本に渡日してから日本での生活が台湾での生活よりも長くなりもう台湾に戻って生活する事は考えられません。

     ここ1~2年は度々アメリカ初めヨーロッパなどを往来し現地での調査や市場調査など、海外に頻繁に出張する事になりましたが、そこで国籍の壁を目の当たりに感じました。 私は(台湾籍)のため国によっては短期の出張でもいちいち査証(VISA)の申請をしなくてはなりません。そして、渡航国によってはVISA申請から数カ月かかる国もあります。このようにフットワークが悪くては商談などのビジネスチャンスに会社も私も乗り遅れる事は必至です。そこで私は個人的事情もありましたが思い切って社長に私の「帰化」について相談したところ、全面協力をするとの快諾を得られたのです。
     そして、私は数ある帰化サイトの中から実績と経験から迷うことなく、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に決めました。
    この度は帰化許可も頂き念願の「日本」人になる事ができました。
    前田先生、梶山先生ありがとうございました。そして、両先生のおかげでなんの不安もなく安心して「帰化」の結果を待つことができました。本当にお世話になりました。

  • 東京都練馬区在住

    付 美紀様

    私の父母は中国東北の出身で、私は日本生まれの「中国」人です。
     私が「帰化」しようと思ったきっかけは大学4年生の時、友人の親類がオランダにおり、その友人を含め4人でオランダに卒業旅行に行くことに決めたのです。私以外の3人は皆「日本」人で何も知らない私達は直ぐにチケットを予約しました。しかし、わたしは「中国」人なので私だけが査証(VISA)手続が必要なことを知り、急いで査証申請しましたが、結局当日のフライトには間に合わず私だけが卒業旅行に行くことができませんでした。
    私は今まで何となく両親には遠慮していましたが、その事がきっかけで私は両親に「帰化」をしたいことを打ち明け、加えて中国本国書類の準備を頼みました。しかし、中国人のまま「永住者」そして「家族」として現在を維持したい両親と日本で生まれ日本しか知らず今後の自分の人生のために「日本」人になりたい私とでは全く意見が合わず、結局2年以上も頼み続けましたが何も協力してくれることはありませんでした。

      途方にくれていた私はインタ-ネット検索で「アイ・ビー飛鳥行政書士法人」を見つけ、私は直感的に「ここだ」と思い、すがる思いで連絡を入れました。
      梶山先生と面談し過去の事情と私の「帰化」の思いを全て先生にお話しをしました。
     私は全て先生に伝え終わると自然と涙が溢れ止まりませんでした。先生は私が泣きやむのを待って「本当につらい思いをしましたね、でも諦めることはない。何とかしましょう」と言ってくれたのです。その後全てを先生に委ね結果的に帰化申請をし、そしてその10ヶ月後に「帰化」することができました。
     私は今、「つくづく思います、本当に諦めないで良かった」と。
    これからは「日本」人として「オランダ」だけではなく自由に世界に翼を広げて行きたいと考えています。
     先生、本当にありがとうございました。

  • 東京都世田谷区在住

    ペレスセグラナンシー様

    私は本国メキシコの高校時代、日本に「短期滞在」で友人と渡日し、日本の観光名所をめぐりました。
    その時の「京都」などの印象が忘れられなくて、高校卒業後、再び日本に留学生として渡日し、日本語学校を経て関西の大学を卒業、京都にある会社に就職しました。
    日本に渡ってから十数年がたち、大好きな日本で一生を過ごしたいと思い、アイ・ビー飛鳥行政書士法人にお願いをしました。
    私の本国である「メキシコ」は帰化の事例がなく、不安でしたが、梶山先生のおかげで無事申請が受理されました。
    私が「帰化」したら、今度は車の免許をとって、大好きな「日本」をまた巡ってみたいと思います。
    梶山先生、本当にお世話になりました。

  • 東京都江戸川区在住

    シャシャ様

    私は、ミャンマ-の首都ヤンゴンで生まれヤンゴン大学の理学士として卒業しました。
     その後、あこがれだった日本に渡日し、現在の夫(日本人)と結婚しました。
     そして、夫と真剣に話し合った結果、私は帰化を決断し、梶山先生に帰化手続を依頼することになりました。結果は私が想像していた以上に手続もスム-ズに運び、気づいたら帰化申請が終わっていた、という感じでした。しかし、問題は帰化申請後に私が転職したことから始まりました。
      転職後の職場で私は数人からパワ-ハラスメントを受け、私も帰化申請中だったので「がまん」をしていましたがたまらず梶山先生に連絡を入れたところ梶山先生は私のパワ-ハラスメントの状況を事細かく聞いたあと、「わかった、がまんすることはない」そして、「これ以上君がその会社に居ても何も改善されることはないだろう。」と言ってくれたのです。私はきっと先生に退職を止められるだろう、と思いましたがむしろ、先生の判断力と心強い一言で勇気とエネルギーをもらい直ぐに行動する事ができました。
      その後、転職もすぐすることができ法務局の手続きや対応もすべて先生にお願いしました。先生のおかげで今では、気の合う仲間たちと楽しく仕事を続けています。
    私は今、「日本」人として心から先生に感謝しています。

  • 東京都在住

    M・A 様

    私は中国新疆ウイグル自治区ウルムチ市で生まれました。
     本国では地元の小学校から高校まで通い卒業しました。そして本国ではバスケットボールの準プロ選手として活躍しましたが、今後の人生を本国で過ごしていくことに希望を見出すことが出来なかったので、検察官だった父と時間を掛け相談の上、日本に渡日することになったのです。
     渡日してみると日本は本国とは違い、何もかも自由で、自分の考え方を素直に発言できることに感動を覚え、自由主義国の素晴らしさを改めて感じることができました。
     そして、日本では日本語学校から大学に進学し学士を取得の上、卒業しました。現在は日本でも有名な大手企業に就職することができたので自分自身ではとても満足しています。
     日常生活においては、日本人は優しさに溢れ、渡日時に日本語が全く通じない私に対し嫌な顔ひとつせずに道案内や買い物の手伝いをしてくれた事にとても感動し、今でもそのことが忘れられません。見知らぬ外国人である私に対しても常に親切・丁寧に接することができる日本人の礼儀正しく寛容な心遣いに私はとても感動させられたのです。
     そして、日本に渡日してから10年という月日が流れ、私の帰化について父母に相談したところ、「もうウイグルには帰ってくるな。」と言われました。それは本国ウイグル人は中共政府から政策的に迫害され将来の希望が全く持てないからです。
     しかし、私が帰化するにはいくつかの障害があったのです。したがって私は梶山先生はじめ、アイ・ビー飛鳥行政書士法人に依頼しましたが、私の障害を見事に処理して頂くことができました。梶山先生はじめ皆様には感謝しかありません。本当にお世話になりました。

  • 元国立大學病院消化器内科部長

    陳 彩嬀 様

     私は、30数年前に中国・華東から日本に留学生として来日し、日本の大学(医学部)を卒業しました。以来国立大学病院の医局(消化器内科)に勤務し、当時医局長だった日本人の夫と結婚し2人の子供を授かりました。
     前田先生とのご縁は、日本人の夫との結婚以来「日本人の配偶者等」から始まり在留資格「永住者」の手続きでお世話になりました。その後、2人の子供も独立し3人の孫ともふれあいながら日本人の夫と長く幸せに暮らしておりました。ところが一昨年最愛の夫があまりにも突然に亡くなり途方に暮れていた折、長くお世話になってきた前田先生にご連絡したところ、
    「とにかくお会いしましょう。」ということになり、10数年ぶりに日比谷の帝国ホテルでお会いすることになりました。そして、前田先生にお会いした瞬間に涙が溢れて止まらず、その後何をお話ししたのかも今では覚えておりません。その際に前田先生が私に、 「パパのために帰化しなさい。」という一言で、全てを先生に委ねることにしました。この度おかげさまで帰化の交付も頂き「日本人として生きてゆく」ことになりました。そして、帰化交付後の手続きも世間を知らない私のために、梶山先生もお手伝い頂き遺族年金の手続きなど私がこの日本で生きてゆく全ての手続きを完了させて頂きました。本当にお二人の先生には、「ありがとうございました。」という言葉では言い表わせないくらい心より感謝申し上げます。今後のお二人のご健康と、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。

  • 東京都狛江市在住

    大友 裕美 様

    私は香港出身者で、二十代の頃には貿易会社の社員として南アフリカのケープタウンに3年、ヨハネスブルクに2年間いたことがあります。
    その後、日本には1994年に初来日し、1996年に再び来日した時に現在の夫と知り合いそれ以来、前田先生には在留資格の手続きでお世話になってきました。来日して20年、そして「永住者」として10年以上が過ぎましたが、夫はじめ子供達から日本に「帰化」することを当然のように勧められてきましたが、故国香港から日本に帰化することの決心がなかなかつきませんでした。
    そんな折、私の友人(中国広東省出身者)から永住者の配偶者資格取得を相談されたので前田先生に相談するために、久しぶりにお会いしたところ梶山先生も同席され、実際は友人の件で相談に行きましたが、結局私のデリケートな「帰化」の問題を中心に相談することになり最終的には信頼できる両先生にお願いすることになったのです。申請期間中は親身にかつ丁寧にご説明下さり、安心して「帰化」申請することができました。本当にありがとうございました。

  • 横浜中華街広東料理 同發本館/有限会社 同發

    周 慶錦 様

    当店は明治の創業以来、「お客様と共に発展していきたい」との創業者のお客様に対する真摯な気持ちと中華街の古き良き時代の伝統をかたくなに守り続けています。そして、前田先生とのご縁は先代が帰化をお願いしたことに始まります。そして時期を同じくして、当時先代が横浜華僑総会の理事をしていた関係から、前田先生のご発案で「この中華街に観光地にふさわしい東京日比谷にある《 帝国ホテル 》の駐車場のように多くの観光客の車を収容できる駐車場タワーを作ったらどうか?」というご発案により先代が華僑総会に諮り、先生の提案から1週間後に駐車場の青写真ができ、その後用地の取得を経て現在の「中華街パーキング」が完成をしたのです。この完成によって、中華街全体が更なる発展を見ることができました。
    同時に当店においても、大型バスが何台も駐車できるようになったことから、当店が東京の「はとバス」のコースの中に加わり「北京ダック」のおいしい店として東京でも大変評判になりました。
    前田先生は、この中華街では同胞を帰化させる先生として有名な方ですが、この「中華街パーキング」が先生のご発案で作られたことは、現在の中華街では知る人は少ないかも知れません。
    最後に前田先生にはこの横浜中華街はじめ先代や私達家族も帰化で本当にお世話になりました。「先生本当に、謝謝。」

  • 横浜中華街広東料理「永華樓」 店主/株式会社永華樓 代表取締役

    松村 康明 様

    横浜中華街も日本の歴史の変遷と共に様々な店舗が出現と消滅という変遷を繰り返しながら今日の中華街の姿があります。
    今こうしてわが「永華樓」が繁栄、永続できたのも「日本人」になることを「選択」した先代(父)の決断があったからだと思っています。
    当家は、祖母、父、そして私と親子三代、前田先生に帰化の手続きをして頂きお世話になりました。
    そして、その父の「選択」を適えてくれた前田先生には心から感謝をいたします、「本当にありがとうございました。」

  • 上海料理「状元樓」 横浜中華街本店料理長

    相馬 幸高 様

    私が前田先生に、はじめてお会いしたのは、当店の二代目オーナーから紹介されたのがきっかけです。
    私は中国上海から日本に来日して、ここ横浜中華街に来て10年が経過した頃、オーナーから「日本に帰化をして長く日本にいてこの状元樓を支えてほしい。」と言われたのです。
    その当時、私の父も母もまだ存命だったのですが上海には兄もおり、正直何年もの間「中国に帰国するか、日本に永住をして留まるかそして、日本に帰化するか、本当に悩みました。」
    そんな折、当店のオーナーから前田先生を紹介され、いろいろお話をした結果、二代目オーナーの情熱と前田先生のこの横浜中華街で、数多くの同胞を日本人に帰化させて来た実績や経験に対する信頼から、日本に帰化することを決断いたしました。
    今では、横浜に自宅を建て二人の子供も中学校に上がり家族ともども幸せに暮らしています。あの時、先生に対する信頼がなければ、帰化の決断はしていなかったと思います。「本当に前田先生ありがとうございました。」

  • 横浜中華街 広東料理「均元樓」 二代目オーナー

    大城 美也子 様

    私ども、均元樓は私の父、母、姉そして私が前田先生に帰化の手続きをしていただきました。
    又、私達が前田先生に帰化をお願いしていたころは、中国広東省広州から料理人を日本に招聘することはものすごく大変なことでした。
    そして私の父は、日本に中国から招聘する料理人を私達同様に前田先生に帰化をお願いしておりました。その後、私がこの均元樓を父から経営を任された以後も当店で料理長になる人には前田先生に数回帰化をお願いしました。
    私達家族をはじめ、当店の店員にいたるまで前田先生には本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。

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